イノベーションの弊害について考える

教育とは、をもう何年も考え続けてきた、いろいろな捉え方があって、情報の伝達としての一般化をしようと、数式にした事もあった、最近おもっている事は、本質的には、コミュニティの形成上において必要の為に行われる行為であり、コミュニティ の中に適応または、そのコミュニティの求める行為に従順させる為の活動。

とした場合、

学習とは、生物が生まれてから次の子孫繁栄までに生きるおよび、子孫を繁栄する為に環境に適応する事を目的とした能力。

だから、

ときに、教育は学習能力を抑える事で、そのコミュニティの形成を守る。 ときに学習は環境に応じる事で生命の繁栄が最大となるのであればその能力を抑える事をも学習する。

という事で、イノベーションの弊害になる教育が悪いのではなく、そのコミュニティの保持の為に必要な事で、社会的に滅ぶ時がくれば、コミュニティ毎なくなるかも知れないけど、別の新たなコミュニティが生まれて全体的に見たら別にそんな大騒ぎする程のこっちゃないよね。って感じ。

バカと天才が紙一重というのは、単純にはみ出した考えが受け入れられたか否かの違いで、周りの 人の評価にしか過ぎないので、超頑固とか、いう事聞かないとかって、別に悪い事じゃなくて、おまえ、俺のコミュニティで生活してく?って事だけなのかも知れない。

子供が生まれて最初に属するコミュニティは家族であって、その家族がコミュニティとして機能しない状況なら、別にここに教育は生まれない。

だって、必要ないからね。

子供が家庭の次に入るコミュニティは学校だと思う、ここで先生や親が社会との繋がりを重視して いなければ、子供は社会に触れる事なく、2つの小さなコミュニティが全世界となってしまう。

塾や習い事、親が社交的、先生が先進的で社会の話しやアクセスをする、部活を通して他のコミュニティにアクセスする、どこまで多様なコミュニティに触れる事ができるかは非常に重要じゃないかと思う。コミュニティ毎の教育が存在して、コミュニティを超えた学習が発達すれば、一つのコミュニティの保持の為に学習が抑えらえる事が無くなるから。

貧困の連鎖の問題も、イノベーションの弊害も、こんな感じで説明できないか?なんて事を考えている。